キングコングが暴れまわることに嫉妬する人間たちの心模様

先に言っておこう。

僕はキングコング西野亮廣が嫌いだ。

 

だが、これは西野批判のために書くわけでも、擁護のために書くわけでもない。

そのあたりをわかってから読んでほしい。

 

西野のことは、新宿駅東南口でチケットを手売りしていた時に会ったことがある。

当時、お付き合いしていた女性がお笑いが好きだったので、興奮していた覚えがあるが、僕は

 

「ふーん。確かにテレビで見たことあるわ」

程度の印象だった。

 

それくらい興味がない相手を嫌いになった事の顛末を備忘のように書き残しておくことにしたわけだ。

 

お金の奴隷解放宣言→言葉の奴隷解放宣言

まさかここまで炎上して知らない人はいないと思うけど・・・|д゚)チラッ

知らない人のために、リンクを貼っておこう。

 

lineblog.me

 

ほい。

公式ブログです。

 

今回、西野が描いた絵本が元になっている。

正確には、描いた絵本を無料公開という手段を使ったことで問題になっている。

 

そもそもあれだ。

このアイキャッチが腹立つわ。

おまえお笑い芸人やろがい。なんだこのモノクロでおしゃんてぃな写真は。

 

閑話休題

 

この「お金の奴隷解放宣言」というセンセーショナルなタイトルと、その内容によって西野は炎上した。

まあ、これは炎上して当然というか。炎上するのが目的だったわけだからね・・・

 

炎上した原因としては、まあ本文読めよ。わかるから。

 

簡単に言うと

 

  • お金の奴隷解放宣言を宣言した
  • 絵本を無料公開した
  • 口が悪い
  • 品がない
  • ウザい
  • その他いろいろ

 

と言ったところだろうか。

個人的な恨みも入ってしまったが。

 

ごめん。真面目に話す。

 

お金の奴隷解放宣言をした

これはアレだ。

世間と、クリエイター、そして今までの自分に対して解放宣言をした(らしい)

 

まずひとつめの問題がコレ。

世間一般(という顔の見えないマジョリティ)に対しお金の奴隷呼ばわりした。

 

絵本を無料公開した

自分が作った絵本を無料公開したことが問題になるの?

という方もいるだろうが

 

クラウドファンディングで資金集めをして制作した絵本である。

ということと

スタッフクレジットが無料公開版では消されている。

ということ。

 

二つ目の問題はコレ。

クリエイティブなものの価値を貶めた(ように見えた)。

自分の気持ちに正直になれよ

 

お金の奴隷解放宣言は置いといて。

絵本の無料公開なんて、クリエイターとして普通の戦略だろ。

 

結果として、絵本を無料公開したことでやつの売上が上がった。

戦略としては大成功だ。

 

ほんで批判してるやつはなに?

 

嫉妬だろ?

 

ネット上で批判する連中の話を聞いてると。

 

  • お金の奴隷ってなんだよゴルァ!
  • クラウドファンディングなのに勝手に無料公開してんじゃねぇ
  • スタッフクレジット消してんじゃねえ
  • クリエイターを馬鹿にするな
  • などなど

 

何度もお金の奴隷は後回しにするけど。

その他の批判に関して言えば、全てナンセンス。

 

契約とかそのあたりがあるんだ。馬鹿じゃないだろ西野も。

そして、無料公開に関する商法、その手法というのは認知されていて、新しいものではない。

 

そして、何より。

金を稼げていたら、それですべて勝ちだろ。

 

お金の奴隷を解放するやつは、お金を奴隷にしているのだ。

 

西野ファンに聞いてきたよ

 

知り合いの西野ファンに聞いてきたんだけど、

 

  • 西野を追っかけてるとわかる
  • クリエイターに対する警鐘だ
  • 言葉尻も含めて西野の戦略

 

というようなことを聞いてきた。

クリエイターに対する警鐘というのは、西野曰くの

 

「お金の奴隷」

 

はイコール旧体制であり、いままでのクリエイターの在り方なんだと思う。

そしてそれに対して警鐘を鳴らした。

 

と、友人の西野ファンは言っていた。

 

ひとつの答えとして。

 

まあ、なんでもいいんですよ。

すごくシンプルな話で。

 

「すげぇよ西野。マジすげぇ。でも、やりたくても出来ねぇから黙っててくれる?」

 

というのが僕の答えである。

 

西野のやってることは正しい。

西野の言ってることは正しい。

 

でも、それができる人って限られているよね?

 

生活基盤がしっかりあって、食いっぱぐれない安心感があって。

それでいて創作にリソースを割ける余裕がある人。

 

そんな人ならできる。

 

いままでの既得権益とか、クリエイターをとりまく環境とかをぶっ壊しに行ける。

ぶっ壊していかないと、クリエイターは食えなくなるから。

 

いいよ。わかってんよ。

 

でも、できねぇっつってんだろ。

いわゆる世間一般ってさ、毎日働いてさ、飯食って笑ってさ、楽しく生きてるけど、必死でしがみついてるんじゃないの?

 

しがみついてんだよ。

ぶっ壊そうと思って手を振り上げたらその前に振り落とされるんだよ。

 

まあ、それは僕の愚痴だからいいや。

 

kc.kodansha.co.jp

 

別にアフィとかやってないです。

 

これ、「おおきく振りかぶって」のひぐちアサが描いた漫画なんですが、中身は割愛します。

その中のセリフで

 

「できる人ができない人にできるハズって言うのはマズイんじゃないか」

 

と主人公の芹生くんは言うんですよ。

僕は、このセリフに感動したんですよね。何年前か忘れたんだけど。

当たり前のことなんだけど、これってかなり人間忘れがちになると思うんですよ。

 

まあ、何が言いたいかというと。

圧倒的強者の立ち位置から、自覚無自覚に関わらず弱者を煽ることは下品だと思うんですよ。

 

そう。下品。

 

今回、西野には品が足りなかった。

 

上品であれとは思わない。

ただ、下品であることは最悪だ。

 

立場が上になればなるほど、品位も比例しなければならない。

それを炎上商法とか、クリエイターの生き残り論とか、そういう上辺でないがしろにしたのが西野の結末だ。

 

言葉の奴隷宣言

 

僕らは人間だ。

どこまで行っても言葉に支配される。

それは、人間が手に入れた最も強い力の一つだからだ。

 

言葉の支配を脱するならば、ヒトであることをやめなければならない。

 

だから、僕らは言葉の奴隷だ。

 

 

だから、言葉尻が悪かったとか、言葉の選び方がとか、そういうのは言い訳だ。

西野は今回、お金の奴隷解放宣言という間違った言葉の使い方をした。

 

言葉の支配にありながら、言葉を支配しようとした罰なのだ。

 

それでもあっけらかんとする西野が、僕はやはり気に食わない。

何書いてるかわからなくなっちゃったよ。

 

ヒトは言葉の奴隷であり続けるのだ。